挨拶語「こんにちは」に異変あり

 枯れ葉もすっきりと吹き落とされた冬の朝、大学院の授業で挨拶表現を話題にした。中国の大学(東北師範大学)からの教員研修留学生の劉徳平さんが、(中国の日本語)教科書では、昼間に「こんにちは」と挨拶をすると教えるけども、あまり学生たちが使っていないと指摘した。彼女は、日本と中国の若者言葉の挨拶行動の対照研究をしている。キャンパスでの学生の挨拶の様子を注意深く、外側の視点から観察している。その発言をうけて、これまた留学生の申さんが、(携帯)電話では、当初の挨拶言葉は、いつでも、たとえ晩でも「こんにちは」と言うと発言した。日本人の学生からは、同意と異見の両方があった。おや、「こんにちは」は、昼の挨拶語であるという従来の常識はゆらいでいるらしい。日本語話者にとって「こんにちは」は、あまりにも当たり前の挨拶語であり、意識的にその用法を捉えることはない。日本語話者にとって間違いようのない「簡単な」言葉である。この基礎的なものになんらかの変動が存しているようだ。

 そこで、自分の「こんにちは」を内省すると、「おはよう・おはようございます」はさかんに使っているけれども、自主的にこちらから発する「こんにちは」になると、近所の知人や学内ですれ違う顔見知りの教員と事務の方、それとて「寒いですね・暑いですね」などの気候・天気を話題にするものが普通。それとメイルの出だしぐらいしか用いていない。これは書き言葉の世界だ。構内で、学生さんから挨拶されたとき、相手が「こんにちは」と言えば、芸もなく、「こんにちは」と返すばかりだ。こちらからの声掛けには使わない。というか「こんにちは」では、なんだか間尺があわない、どこかちぐはぐな感覚がある。よそよそしさが漂う。大学構内という言語環境がそうさせているのだろうか。いずれにしても私にとって「こんにちは」は昼間の挨拶語である。

 そんなことを考えているとき、テレビで雪の朝に集団登校する小学生の様子が流れていた。登校を見守る係のおじさんは、笑顔で「おはよう」。子供たちは、口々に「こんにちは」と元気に挨拶する
(注)。(えっ、と驚いてご飯を一膳よけいに食ったほどだ。)こんな場面では常識的に「おはようございます」が期待される。

 どうやら日本語の定番の挨拶語「こんにちは」に、用法の上での変化が生じているらしい。若者語の挨拶語「おはよう」が、従来の朝の挨拶語から、時間帯の制限を捨象し、出会い時の挨拶語へと移動している。構造のなかで一語が変化すれば、その影響は他語へ連動する。「おはよう」と、もともと緊密に隣接していた「こんにちは」に変化があっても不思議ではない。

「こんにちは」と昼間

 まず、「こんにちは」がどういうものとされているかを辞書で確認してみよう。『日本国語大辞典』で「こんにち−は(今日)」の項を見れば、
(「今日は・・・」と続けた挨拶語の下略されたもの)昼間、他家を訪問したとき、また、人と会ったときなどにいう挨拶語。(後略) (下線は井上が付した。以下同)
とある。「昼間」が「人と会ったとき」まで掛かるかどうかが問題があるが、一般的には「こんにちは」は昼間の時間帯における、(1)訪問時、(2)出会い時、の挨拶語である。くわえて使用の条件を言えば、少しあらたまった場面や心理的距離がややある人間関係での挨拶語であろう。家族間ではよそよそしくなるので使えない。

 それでは「昼間」は、どれくらいの時間帯の範囲であろうか。朝でもなく晩でもないところが「昼間」。またもや『日本国語大辞典』の「昼間」の項を開く。
日の出から日没までの間。朝から夕方までの間。また、特に正午を中心に前後二、三時間をさしていう。日中。昼間時。(後略)

 夜間に対する昼間の意味では前半部であるが、日常的な生活者の感覚では後半部の意味であろう。午前11時頃から午後3時頃、もしくは幅を広げて午前10時頃から午後4時頃か。季節によっても昼間と思う時間帯が伸び縮みする。身体感覚でざっぱに判断しているところがある。日常語は、学問的な術語のようにきっちりとした定義がなされているわけではない。意味・概念の境界をはっきりしろと言われると、しどろもどろになる。でも意味の伝達はちゃんとこなしている。かえって杓子定規だとぎこちなくなる。この曖昧性が、実は言葉の使い勝手を良くしている。結局のところ、朝でもなく晩でもない、だいたいみんなが「昼」だと思っている時間帯が「昼」となる。朝と昼、昼と晩(夕方が間に入る)の境目あたりで、従来の挨拶語の体系では「おはよう/こんにちは」、「こんにちは/こんばんは」の切り替えにとまどう。

 といっても、別段に困ることはない。挨拶すべき相手に、とにかくも何らかの挨拶行動をとるという点が大事。例えば、とっぷりと暗くなって「こんにちは」と挨拶したら、皮肉っぽく・冗談まじりに「もう暗いよ」と返したとしても、それで十分に挨拶を交わしたことになる。会釈でも手をあげてもにっこりしても、それだけでもでいいのだ。挨拶行動が全体としてはたらく。一言すれば、簡便な挨拶語は、言葉としての身振りなのだろう。ともあれ、相手を意図的・意識的に無視しない、この一事が肝要なのだ。知り合いどうしの挨拶は、社会的な関係が維持されていることの再確認である。

若者語の「こんにちは」 −昼の挨拶語から出会い時の挨拶語へ−

 さて、問題とすべきは、「こんにちは」自体である。平成17年度後期の「国語I」の授業時間に受講生に簡単なアンケート調査を実施した。B4八つ切りの用紙に記述式で「こんにちは」の使い方について書いてもらった。事前に「おはよう」の変化について説明した。回答数は84人。これを資料とした。今回は男女差は考えないことにする。

(1)使用頻度の低減傾向

 アンケート調査によれば、47人が、従来の「こんにちは」の用法を回答している。すなわち「昼間」の挨拶語として捉えていた。ただ、注目すべきは、使用頻度の低さを指摘したものが多かったことである。この中には、日常生活で「こんにちは」を用いる使用場面に出会わないために使用度数が減ってしまった場合と、事例02の説明のように「おはよう」系が「こんにちは」の位置に入り込んでいるために使用頻度が低い場合とがある。

01 .

私は「こんにちは」という挨拶を午後12時〜夕方にかけての時間帯で、友達というほど親しくない人や目上の人に対して使います。今、考えてみれば、ほとんど使っていない言葉になってしまっていると思います。(2回生 女性)

02 .

私は、基本的に「こんにちは」という言葉を日常生活であまり使わない。あいさつといえば、全て「おはよう」である。朝友達に会った時はもちろんだが、夕方からの部活で出会う部活仲間・先輩に対しても使うのは「おはよう」だ。さらには夜からのバイトの時、入る時にバイトの人々に使うあいさつも「おはよう」だ。「こんにちは」を使うといえば、昼間カラオケのバイトの時に、「いらっしゃいませ、こんにちは」と決まりきった文句を言う時ぐらいである。それくらい私の中で「こんにちは」はマイナーな言葉になりつつある。(2回生 女性)

03 .

昼間学校で、大学の先生に挨拶する時に使うぐらいです。どういう時に「こんにちは」を使うかとあたらめて考えると、現在は本当に使わなくなりました。(4回生女性)

(2)待遇品位のゆれ

 誰にどんな場面で用いるかは、その言葉の待遇品位が影響する。「こんにちは」は「おはよう」よりも丁寧で、ややあらたまったものである。大半の回答は、この従来の待遇品位を維持しているが、事例04のように高いとするものと、事例05・06のように低いとするものとの両端の意見があり、ゆれが見られた。関連する語によって構成されている挨拶語体系の中の位置が不安定な状態にあることが、待遇品位にゆれを生じさせているものと考えられる。このことは「こんにちは」の使用頻度や用法の変化に影響する。友達・家族と過ごす時間が主である学生生活の様態を考えれば、品位が高いと感じると、使う場面が制約される。反対に気軽なものと感じると、使われる場面が広がり、たとえば事例07・08のように「おはよう」に使用感覚が近くなる。

04 .

私は、「こんにちは」はとてもあらたまった印象を受けるので、日中友達に会った時は「こんにちは」は使いません。だから、お昼の12時以降に友達に会った時は、「おはよう」では遅すぎるし、「こんにちは」は他人行儀だし、どのあいさつを使うか悩みます。しかし、同じ「こんにちは」でも、目上の人や小学生に会った時は、しっかりと「こんにちは」と挨拶します。(3回生 女性)

05 .

僕のとても個人的なことでいえば、一般的にあいさつは「おはようございます」のみを使っている気がする。「こんにちは」は何か軽めの言葉のような気がして、部活の先輩とかにあいさつする時も「おはようございます」を使ってしまう。(2回生男性)

(3)「昼」という時間帯枠の捨象

 「こんにちは」は「昼」の出会いの挨拶語である。しかし、使用制限としてはたらいている「昼」という時間帯枠が外されている。使い分けの指標がなくなることは、挨拶語にとって大きな変化である。

06 .

「こんにちは」は軽いかけ声の様になっている気がします。時間帯に関係なくいつでも「こんにちは」を使っているのが現状です。「こんばんは」は消えてしまい、「おはようございます」はアルバイトなどの出勤時などによく使われています。(1回生 男性)

07 .

私は、「こんにちは」のあいさつは朝も昼も夜も使います。どの時間帯に使っても不自然じゃないからです。それと、「おはよう」のあいさつは、目上の人やあまり親しくない人に「おはようございます」と使い分けなけりゃいけないので、その関係が微妙な時には、どちらを使おうか迷います、その点、「こんにちは」は、使い分けなくてもいいので便利です。(1回生 女性)

08 .

「こんにちは」は会った人にたいがい使います。朝でも、昼でも、夜でも「こんにちは」です。「おはよう」という言葉は、家族とか仲の良い友達に朝会う時ぐらいです。しっかりと時間帯で使い分けたらいいと思いますが僕は挨拶をすることに意味があると思っているので、一番使いやすい「こんにちは」を使いますね。(後略)。(2回生 男性)

(4)目上の人への、便利な出会い時の挨拶語

 昼に使う挨拶語から時間帯枠の制限を捨象した「こんにちは」は、朝昼晩のいずれでも使われるものとなりつつある。そうなると同じく出会いの時の挨拶語「おはよう」と競合することになるはずであるが、待遇品位の上での差異によって、使い分けがなされる。すなわち、「おはよう」が後輩・友達・家族などの親しい間柄の気安い挨拶語であるのに対して、「こんにちは」は先輩・先生・(バイト)の上司などいわゆる目上の人へ、あるいは近所の人への、ややあらたまった丁寧な挨拶語である。

09 .

私の「こんにちは」という言葉の使い方は、2種類ある。まず、当然昼に使うあいさつとしての「こんにちは」で、これは昼間であるならば、いつでもどこでも使うことができるものである。そしてもう一つの用法は、目上への人へのあいさつとして、朝・昼・夜と使うことができる。このように「こんにちは」という言葉は全ての人に全ての場面で使うことのできる便利な言葉だと思っている。(4回生 男性)

10 .

僕の場合は、地元では昼のあいさつは「こんにちは」なのですが、ここではなぜか朝晩関係なく最初に会った友達には「おはよう」なので、仕方なく、目上の人、先輩や先生に対しては「こんにちは」を使うことにしています。これは目上の人に対しては昼夜関係なく僕は使っています。ちなみに「こんばんは」は公式の場所とか、初対面の人に夜に使います。(1回生 男性)

11 .

「こんにちは」は本来なら昼間、知っている人に会った時に使うのであろうが、私は、目上の人に対してしか使わないように思う。たとえば先輩とか近所の人。先輩ならどの時間帯に会っても「こんにちは」で、区別している。また、久しぶりに祖父母の家に行った時などにも使う。逆に、「おはよう」は友達と、「こんにちは」の代わりに使っているような気がする。(1回生 女性)

12 .

私は塾の事務員のアルバイトをしています。事務室には、先生、生徒がたくさん出入りします。生徒に「おはよう」と言っても失礼じゃないけれど、先生に「おはよう」というのはえらそうな感じがします。だから私は誰に使っても失礼でなく丁寧すぎない「こんにちは」という挨拶を使うようにしています。(1回生 女性)

(5)やや丁寧な、出会い時の挨拶語

 「こんにちは」は、「おはよう」系のような親しみを感じさせるかわりに、相手の間に一定の距離を置く感がある。なにがしか身じまいをしたあらたまった語感を持つ言葉である。挨拶の相手としては、目上の人という上下関係に基づくばかりでなく、初対面の人や見知らぬ人への声掛けにも用いられる。後者の場合、相手と自分とのこれからの心理的な距離の取り方が定まっておらず、不安定な中でさぐりを入れるような形式的な挨拶である。「おはよう」系が既知の間柄での親近感をこめた人間関係の再確認にはたらくとすれば、「こんにちは」は、未知の相手と、新しい社会的関係を取り結び、新たな人間関係を開いていこうとするはたらきがある。

13 .

「こんにちは」という時は、相手が見知らぬ人であることが多いと思います。スピーチなどのあらたまった場では、「こんにちは」を多用します。例えば、私達大学生は、昼に友人にあったとしても「こんにちは」とは言いません。「こんにちは」は、形式ばった、あらたまった言葉になっているようです。(1回生 女性)

14 .

「こんにちは」は主に、「こんにちは」と挨拶されて返す時に使います。自分から使う場合には先輩・後輩の上下がある間柄や目上の人に対して、またはあまり知らない人に対して使います。優先順位をいえば、知らない人>時間>上下という図式になります。ですから、道を尋ねる時など知らない人に話しかける場合は朝夕問わず「こんにちは」と言っています。でも知り合い間では基本的に「こんにちは」は使いません。(1回生 男性)

15 .

一日に同じ人に2回会ったとしたら、1回目は「おはよう」で2回目は「こんにちは」と言います。あと、友達に人を紹介された時に、「こんにちは」と言います。あとは、時間に会わせて、「おはよう」と「こんにちは」と「こんばんは」を使いわけます。(2 回生 女性)

16 .

「こんにちは」を使うとき、そういえば初対面の人と会ったとき「初めまして」を使わないであいさつするとしたら、朝会っても何となく「こんにちは」って言う気がする。これって私だけですか?(1回生 女性)

「こんにちは」をめぐる挨拶語の若者語現在進行型

 「こんにちわ」から音変化した「こんちわ」は、待遇品位が一段低い。そこからさらに簡略化した「ちわっ、ちわー」は、すでに早くから「昼間」に限らずに出会い時のくだけた軽い挨拶語として用いられていた。はなはだしい音変化を被ったために、「今日は」の語源が意識されなくなり、従来の「こんにちは」の用法の引力から脱して一人歩きしていた。これらは、親しい仲では使えるけれども、目上の者やフォーマルな場面では使用しにくい。それでも「おはよう」よりも待遇品位は高い。しかし「おはようございます」よりも低い。

 さらに、若者語の軽い敬語形式「〜ッス」を下接させた「ちわっす、ちーっす」が出現した。まがりなりにも敬意を含んでいるので、先輩などの目上の者に使うことができる。こうした「こんにちは」から派生した俗語的な挨拶語の類は、既に早く、時間帯の制約を捨象することによって、簡便な出会い時の挨拶語へと転身していた。と言うよりも、ある程度の品位を維持しながら、より制約の少ない挨拶語を求めたと言えようか。社会生活の上での挨拶の必要性と大切さまでは、いかにもうち捨てることはできない。でも、型にはまったものではかたくるしくて窮屈すぎる。もっとやわらかく情感のある手軽な形式を手探りした。

 こうした変化は、とうとう「こんにちは」本体に及んだ。個々の派生形で対応した状態から、挨拶語構造の問題となったのである。(本丸落城か?)

 「こんにちは」の用法の変化を、緊密な張り合い関係をもつ他語との関係を、使用時間帯と待遇品位の2軸で図式化すると、以下のようになる。従来型→若者語現在型→若者語現在進行型と順次移行していると考えられる。若者語現在型の中には個人差があり、いくつかの亜種が存するが、それは若者語現在進行型への移行過程の臨時のすがたであろう。
挨拶表

(1)

従来型で「おはよう」と同レベルの、昼と晩のくだけた挨拶語の枠が空であったために、出会い時の挨拶語として便利な「おはよう」が、朝の枠から昼と晩の枠へと進出し確固たる位置を占めた。この状態が若者語現在型である。しかし、時間帯と出会う相手で使い分けるというのでは、適宜判断が必要であり、どれを使うのか難しい場合が多々あり、不安定な状態が依然として残った。ここに次の改進の動きが生まれた。

(2)

「おはよう」の丁寧形「おはようございます」は、朝の出会いの挨拶語から、時間帯の制限を捨象し、「おはよう」が押し広げた領域に、「おはよう」を後追いするように進出し、丁寧な出会いの挨拶語の位置を占めつつある。特に、夜の挨拶語「こんばんは」は抵抗が難しくなった。

(3)

「こんにちは」は、これまた昼の出会いの挨拶から、時間帯の制限を捨象し、「おはよう」よりも、やや丁寧なものとして、「おはよう」の押し広げた領域に随伴的に広がる勢いを見せている。若者語現在進行型である。構造改変は昼間の「おはよう−こんにちは」セットを他の時間帯に援用したのが契機か。

(4)

晩の時間帯枠に「おはよう」系が、次いで「こんにちは」が侵入してきた。もはや「こんばんは」は劣勢。「晩」という時間枠にしばられていることと、さらに生活活動の様態の変化により、適切に使用できる場面が減少したことが大きい。(がんばれ、「こんばんは」。)「おはよう」のなれなれしさや「こんにちは」のよそよそしさとは別の、品のある親しみの語感が「こんばんは」にはある。従来の行動様態では、夜・晩に出会う人は限られていた。夜は本来、むやみに出歩かないものなのだ。

(5)

「こんにちは」は、初対面の人との挨拶や知らない人に声を掛けるときなどの場合、「おはよう」系よりもよく使われる。知らない人への声掛け・挨拶に用いるというはたらきを専有しつつある。語感としてある「こんにちは」本来のあらたまり度の高さが利いている。

(6)

結局のところ、「おはよう」系も「こんにちは」も朝昼晩という時間帯枠が取り除かれ、出会い時の挨拶語化し、使い分けは、「親しい人・くだけた場面/ちょっと気を使う人・ややあらたまった場面」が指標となった。それぞれの挨拶語の機能の分化を明確にし、使い分けのルール数を減少させている。単純化・簡素化の方向にあると言えよう。ただし、フォーマルな場面では、臨時に従来型に回帰する。ちゃっかりしたものだ。

 以上のように「こんにちは」を考えてくると、謎が解ける。登校する子供たちにとって、このおじさんは、自分たちの安全を守ってくれる人なので無関係な人ではない。しかし、自分の小学校の先生たちのように親しい顔見知りの人ではない。ひょっとすれば、係のおじさんとは(交替でやっていて)初対面だったかもしれない。この子供たちの対人認知と挨拶語の選択とが、この言語現象をもたらしたのだろう。
厳冬のさなか、サザンカの深紅の花がちょっぴりの、あたたかさをくれた。新春の木瓜の花をめでたと思ったら、すぐにも梅がほころびかすかなの香がたゆとうた。土の肥えた匂いが地を這う。そして桜の季節だ。ひなたぼっこの猫があくびする。こんにちは。すっかり春になったね。ゆくもとまるもそれぞれの春・・・・・。